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思い出に残る食事

1 :うまか棒:03/08/23 04:12
出版記念名作スレ復活

なんていかがですか?

2 :もぐもぐ名無しさん:03/08/23 04:24
取引先に奢られた寿司

3 ::03/08/23 05:40
弟の作ったコロッケ。
夕飯何がいい?と、たまに帰る実家に電話をしたら、
「なんでもいいよ」という無愛想な弟。
父はその日は遅くなるというので、弟と私だけなら
スパゲッティと缶詰めのミートソースでいいかと買って帰ったら、
揚げたてのコロッケが食卓に。
「イモがあまってたから」と相変らず無愛想な弟。
食べてみるとイモ以外はなんも入っていない味も無いコロッケ。
でも「おいしいおいしい」と二人で食べた。

母親が亡くなった事でこいつも頑張ってるんだな、
と、せつなくなった。
表面が無愛想なのはいつまでも変わらないんだけど。

4 :もぐもぐ名無しさん:03/08/24 04:58
飲んだ後のラーメン


5 :もぐもぐ名無しさん:03/08/24 05:18
翌朝のおかゆ

6 :もぐもぐ名無しさん:03/08/24 06:02
中学1〜2年の冬。私は珍しく風邪をひいて、38度くらい熱を出しておりますた。
普段意地っ張りな私も、病気になると結構心細くなるもんで……熱も出てるんだし
小学校低学年の時のように母が看病してくれるだろうと、その時、口には
出さずとも期待してたんですが、それは見事に裏切られ……
一人で医者に行き、帰ってきた頃には家族はとっくにご飯を食べ終えていて、
食卓に残されていた私の分のご飯(白米と味噌汁)を、一人でもそもそと食いますた。
なんか寂しくて、風邪ひいてる所為もあったんだろうけど、全然味がしなくて美味しくなかった。

いや…たいした事じゃないんだけどね。ミョーに鮮明に覚えてたもんで。


7 :もぐもぐ名無しさん:03/08/24 07:39
子供のころ、うちのオヤジがゆでる蕎麦が嫌いだった。
食べるたびに吐き気を催した。

あるとき、外食で蕎麦を食べたら美味かった。
つゆが甘かった。

吐き気を催す原因がわかった。
オヤジの作るつゆ、醤油を水とカツオ節で割っただけの
ショパーイつゆだった。


8 :誘導・重複:03/08/24 22:35
(*`Д´)家族との思い出の味(´Д`*)
http://food3.2ch.net/test/read.cgi/food/1040459137/
こちらがかなり以前からあるスレッドでこの分野の本スレになります。
以降はこちらのスレッドでお願いします。。。。

9 :もぐもぐ名無しさん:03/08/28 15:02
約20年前の小学校4年当時、家が貧乏でした。
どれくらい貧乏かと言うと、遠足に持って行く菓子代もないくらい貧乏でした。
遠足前日に「遠足のお菓子は××円までですよ」と釘を指されましたけど、
うちはガム一つ買う金がありませんでした。

考えたあげく、当日僕は、遠足の目的地である浜辺に到着したとき、タイミングを見計らって
カバンの中を漁るしぐさをしてみせ「お菓子がない。家に忘れてきちゃった、アハッ」とみんなの前でおどけてみせました。
「馬鹿だなおまえ」とみんなが少しづつお菓子を分けてくれました。
家が農業と畜産の時給自足に近い生活で、お金はありませんでしたが米と豚肉だけは充実してて、
弁当だけは持っていく事ができました。しかし中身は米とおかずは豚肉を炒めたやつだけ。
友達が覗きこんで「なんだよ、おまえの弁当」と茶化して来ましたが、
「俺は豚肉が大好きなんだよ。お母さんに頼んでおかずは豚肉だけ入れてもらったんだ」と言い訳しました。

その時です。砂浜に突風が起き、僕の弁当は砂まみれになりました。
「・・・・」
上の部分は捨て、弁当の下の砂が掛かってない部分だけ捜すように食べましたが、
それでも、噛む度に口の中でジャリジャリと砂が音を立てました。
その時は真剣「どうして俺だけがこんな目にあうんだ」と涙が出そうになりました。


10 :もぐもぐ名無しさん:03/08/30 15:19
本のひろゆきの写真がぱんつかぶっているようにしか見えん。

11 :もぐもぐ名無しさん:03/09/02 18:21
あげとくね
http://food3.2ch.net/test/read.cgi/food/1061729334/
思いでに残る食事<復活>


無くなっちゃったからさ。

12 :もぐもぐ名無しさん:03/09/02 19:36
子供の頃、ひどい喘息で入院してしばらく点滴で寝たきりでした。
点滴が取れて、初めて食べさせてもらった病院の食事、美味しかった!
ギンダラの粕漬けの焼いたの。あれほど美味しい!とカンゲキしたものはなかったなぁ。

13 :もぐもぐ名無しさん:03/09/02 20:08
>>9
(゚Д゚;)・・・・・。

14 :もぐもぐ名無しさん:03/09/02 22:32
親父の実家が岩手でな、夏に岩手に行って岩場で海水浴してたら
ナゾの海底人みたいな潜水服のオッサンが突然現れてビクーリ
「これ 食べるの?」と覗いた袋にウニやら貝やら・・
親切なオッサンでウニをご馳走してくれました
海水で洗っただけのウニ いまだにこれよりうまいウニを
たべたことがないね

15 :もぐもぐ名無しさん:03/09/03 13:22
このスレ本になってるんだね〜知らなかった。

16 :もぐもぐ名無しさん:03/09/05 12:37
ネットで本を買いました。届くのが楽しみだなあ。

17 :もぐもぐ名無しさん:03/09/06 23:44
小学校3年の時だった。
母親が他の男のもとへ逃げ、両親が離婚することになった。
俺も家庭裁判所に連れて行かれ、裁判官か調停員かに何か質問された。
そのとき俺は「お父さんと暮らす」と答えたと思う。
家庭裁判所からの帰り、あたりはもう薄暗くなった夕方、親父と二人でラーメン屋に入った。
チャーハンを食べながら俺はポロポロと涙を流していた。
親父は黙ってラーメンをすすっていた。
チャーハンを食べると、いつもあの時を思い出す。


18 :もぐもぐ名無しさん:03/09/07 04:45
「やきそば大好き。」といったからか
別れた彼は、よくやきそばを作ってくれた。
そのやきそばにはめだまやきがのっていて、
私はいつもおいしいおいしいと食べた。
あの時は幸せだったなあ。

19 :もぐもぐ名無しさん:03/09/07 04:49
12人の弟子たちと共にした食事かな。
俺様こそ生まれ変わりですがそれが何か?

20 :もぐもぐ名無しさん:03/09/07 08:19
>>19 文鮮明かよ

21 :もぐもぐ名無しさん:03/09/07 22:57

3歳ぐらいの時に、当時小学生だった兄の家庭科の授業参観に母と行って、
兄の作ったカレーライスを食べる機会があったのだけど、その当時は母さん以外が
作る料理なんてまずいに決まっている、と思っていてどうしても兄の作った
カレーを食べようとしなかった。 本当にだだをこねて、机の下にもぐるわ、
泣き喚くわ、どうしても食べようとしなかった。 そして泣きつかれた後、
母さんの根気強い説得に応じて兄の作ったカレーを食べたとき、母さんが作った
カレーとほとんど変わらない味がしたとき、凄く悪い事をしたと思った。
ごめんね。 美味しかったよ。

今でも甘口のカレーを食べると思い出す。

22 :もぐもぐ名無しさん:03/09/08 11:50
昨日、本買いました。
結構売れてましたよ。

23 :もぐもぐ名無しさん:03/09/15 11:59
こんな刷れがあったのか。 本も結構売れてるらしいな。
前刷れも含めて読ませてもらったが、久しぶりにちいとばかり泣いた。
泣かせてもらったお礼に漏れもつまらぬ思い出話をひとつ・・・・

3歳の頃母親が死んだ。
親父は葬式の4ヵ月後に全然知らん女と再婚。
その上死んだ母親の係累との繋がりを自分から断ち切って
しまった。
漏れは色んな事実を受け止める、いや理解することさえ 出来ず、本能的に突然目の前から消えた母親の代わりに
自分を守ってくれる存在を捜し求めていた。
夕方、近所の子どもたちと遊んでると、それぞれの子の母親が
「ごはんだよ〜!」
と呼びにくる。
気が付いたら薄暗い広場に自分ひとり残ってた。
そんな毎日だったが別に「さびしい」とか「悲しい」 とか、そんな感情は湧かなかった。
ただ自然に、「そろそろ俺も帰ろう。」
そんな感じだった。
3歳の坊主の心理なんてそんなもの。

つづく



24 :23:03/09/15 11:59
そんな漏れを不憫に思って面倒見てくれたのが死んだ母親 の母親、つまり婆ちゃん。
家が比較的近いこともあってたまに一人で出向いてた。
行くと婆ちゃんが必ず漏れに作ってくれたのがあんこの
「だんご」。
それもだんごの原料の「米の粉」やあんこは自分で 挽いた本格的なやつ。
米の粉は蕎麦をこねる「木鉢」に入れ、沸騰した熱湯を 注いで熱いうちに素手でよくこねないと美味くならないんだな。
婆ちゃんはひたすら手を真っ赤にして一生懸命こねていた。

あんこがたっぷり乗った、暖かい湯気の出ているだんごを ほうばる漏れを眺める婆ちゃんの表情は笑うでもなし、
泣くでもなし、複雑な表情だった。
そのときは通り一遍の「うまかった。」という印象しか 残らなかった。

あれから数十年、漏れも人の親になった。 ふとしたことであの時を思い出した。
「そうだ。子供にだんごを作ってあげよう。」

婆ちゃんのしぐさを思い出しながらやってみたが、 どうしても米の粉をこねる、という工程ができなかった。
熱湯を注いだ米の粉に熱くて手が入れられないんだな。
仕方なくある程度冷めてからやったが、味も素っ気もない、 粉っぽいだんごになってしまい、結局あのときの味は
再現できなかった。

漏れは鈍いヤツだったな。
今頃になって婆ちゃんの愛情の深さに気が付いたよ。
婆ちゃん、あのときのだんご、また作ってくれよ・・・・

25 :新規 p1147-ipbf02tokusinwcc.tokushima.ocn.ne.jp:03/09/15 13:47
http://www./addclickport.cgi?pid=1063249209


26 :もぐもぐ名無しさん:03/09/30 22:19
このスレどうするの?

27 :もぐもぐ名無しさん:03/09/30 22:48
リンクジャンプできなかったよー。

別れた彼が作ってくれるパスタ、大好きだった。
量が異常に多くていつも食べるの大変だったけど。
トマトのパスタ、食べる度に思い出す。
まだ彼のこと、大好き……(;;)

28 :もぐもぐ名無しさん:03/10/01 12:06
数年前の話なんですが・・。

私は一人っ子で母親とは友達のように仲がいいんです。
一人暮らししていた頃、九州出身の彼から九州で
一緒に住もうって言われました。とっても舞い上がっちゃって、
母親に報告しよう!と思い立ち「ご飯おごるから食事でもしない?」
と誘いました。待ち合わせをして久々に会った母親はとっても
嬉しそうでした。母の希望でそば屋にはいり、注文したそばを
待っているとき、思い切って九州で彼と住むとうち明けました。
喜んでもらえると思っていたのはとんでもない間違えで
母は顔を涙でくしゃくしゃにしながら、
「せっかく久しぶりにあなたと食事が出来て嬉しかったのに
そんな話今しないでよ・・・」と言われました。

その後きた蕎麦はほとんど手をつけられずむげに放置されたままでした。

結局私は九州に来て、でもすぐにその彼とは別れてしまい
今は別の人と知り合い、結婚し、子供がいます。

母は、というと可愛い孫に会いたいがため毎月東京から
訪れています。

あの日の蕎麦をふっと思い返すと、元彼との思い出よりも
今の幸せの大切なプロセス、として思い出になればと
思います。

駄文すみませんでした。


29 :もぐもぐ名無しさん:03/10/23 14:23
ageとくわ。

30 :もぐもぐ名無しさん:03/10/27 21:56
>>28
蕎麦だけに傍に居たいってことですね。
うまいな〜。

31 :もぐもぐ名無しさん:03/10/31 14:13
番台のおばさんが言った。「先生からお代は頂いているからね」
俺はその意味が直ぐには解からなかった。そんな話。
小学校五年生の頃、親父の会社が潰れた。母に引き取られた。
典型的な一家離散だった。広い家に住んでいた頃からは想像出来ないアパート。
勿論、風呂なんか無い。銭湯に行くのは初めてだった。カミソリや排水溝が気味悪く
最初は余り馴染めなかった。ある日番台のばあさんが言った。
「牛乳飲みな 先生からお代は頂いてるからね」お代を払ってくれていたのは
保険の先生だった。いつも優しかったウト先生だった。
水槽の鯉が腹を向けて泳いでいた時、パニックになった俺は鯉を掴み、
ウト先生の元に走って持っていった。そんな時もウト先生は「あららら」と優しい声。
それから、銭湯に行くたびに無料で飲ませてくれた。中の上だった家から転落した児童への
哀れみか?と思った時期もあった。でも今の年になってわかる。誰にでも出来る事じゃないって。
あの牛乳の味を俺は忘れた事が無いです。
いつか会って御礼をしたいと思っています。今、自分の足で立っています。

32 :もぐもぐ名無しさん:03/10/31 14:15
(唐突に)ヤキソバ

33 :もぐもぐ名無しさん:03/11/19 02:38
良く覚えているのは保育園の時、
毎日百円を持って通園途中にパン屋に寄って「チョコパン」を買ってから保育園に行っていた。

他のみんなは毎日お弁当を作ってもらっていたけど、私だけパン一個。
お店屋のお姉さんにも「本当に一個で足りるの?」と一度だけ聞かれたけど
毎日渡されるのは百円だけだったから、他のパンは百円以上して高くて買えなかった。
(今思うと狭くて品揃えの悪いパン屋だった)

「なんでウチはお弁当を作ってくれないんだろう」
と子供心に思っていたけど、母親は一歳になる弟にかかりきりだったし、
なにしろ母親が怖くてそんな事言ったら怒られるのが判っていたので何も言えなくて
毎日毎日チョコパンを買って保育園に行っていた。

34 :もぐもぐ名無しさん:03/11/19 02:53
続き

ある時、お昼の時間に隣の子と喧嘩になって、彼女が私の手を叩いたので
そのチョコパンを床に落としてしまった。

私が呆然としていると、先生がやってきて
「はたいて埃を落としたら食べれるから」
と床に落ちたチョコパンを拾って食べろと言う。

「床に落ちた物は食べれない。」と私が言うと
先生はイライラした顔で
「じゃあ、お水で洗いなさい!」と・・・。

私は何で私が怒られるんだという怒りと、自分のお昼が無くなった事と
空腹感でものすごく悲しくなって泣いてしまった。

私があんまりにも泣くので、母親に連絡が行ったみたいで数時間後母親が迎えにきた。
(いつもは近所のおばちゃんが迎えに来てくれる事が多く、母親は滅多に来なかった)


35 :もぐもぐ名無しさん:03/11/19 03:01
母親と帰る途中、いつものパン屋に入り母親が「チョコパン」より
二十円高い「イチゴサンド」を買ってくれた。
家に帰ると弟が居ず(近所のおばちゃんの所に預けられていた)
母親と二人で「イチゴサンド」を食べた。
母親と何かを喋ったのかもしれないけど、そこの所は覚えていない。

 その後、私はすぐに給食が出る保育園に編入したので、
チョコパンを買うことは無くなった。

36 :もぐもぐ名無しさん:03/11/19 03:08
20年以上経った後、あの時、実は父の浮気が発覚した直後であったことが判った。

父の浮気がばれた理由も「私」にケジラミが感染し、
それを母親が発見したからだそうで・・・。

多分、母親は私が正直疎ましかったのかと思う。
「私」が動かぬ証拠になった訳だし・・・。フクザツだっただろう。

37 :もぐもぐ名無しさん:03/11/19 03:14
時々「チョコパン」を見るとあの時の悲しい思い出が蘇える時がある。

なんかねー、ヒモジイ、と言うか・・・。

手作りの食べ物で思い出に残ってる人は羨ましいよ・・・。

38 :もぐもぐ名無しさん:03/11/30 12:30
>>37
イ`

39 :もぐもぐ名無しさん:03/12/19 02:01
あげ

40 :もぐもぐ名無しさん:03/12/27 08:16
おあげ

41 :もぐもぐ名無しさん:03/12/27 08:36
>>37 自分で作ってみても、何か思い出が生まれるかもしれませんよ。

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